フクシマ論 読了

フクシマ論を読了しました。以下、自分なりの理解を記載してみます。

かつて大国が植民地支配していた時代に、大国と植民地の間で、植民地の人々の差別の固定化、隠蔽化がなされていました。大国側の論理としては、貧しい植民地にインフラを整備したというようなものがありました。

それが戦後、国の中央とムラとの間の関係に置き換わったようです。中央とムラとの間で、差別の固定化、隠蔽化がありました。差別の固定化、隠蔽化に当たっては、仲介者の存在があり、国とムラとの間では、地方がその役割を担っていました。隠蔽化があるため、中央からはムラでの差別が見えませんでした。ムラの中において、地元の人と、定期点検などで外部からやってくる多くの人との間には隔たりがありました。ムラの人には、定期点検などで外部からやってくる人は技術を持った偉い人というようなイメージがある一方で、よそ者として威圧的に対応すべき対象でもあったようです。

日本の炭鉱会社と、在日朝鮮人の労働者との間にもやはり、仲介役の人がいたようです。日本の労働者と在日朝鮮人の労働者との待遇の格差は歴然としていたにも拘わらず、日本の労働者はそれをはっきりと認識していないようでした。

このように差別の固定化、隠蔽化が歴史の中で形を変えて繰り返されてきました。

コメントを残す