ITホワイトボックスの東日本大震災後の話

標題のNHKの番組を見ました。今回は東京大学の西垣通さんが解説者として登場されました。
この番組の内容をまとめてみました。

・東日本大震災で、電話はつながらなくてもTwitterのつぶやきは使えた。

・実はインターネット網も相当な被害を被っていた。東北と関東を結ぶ
太い線は3本ありながら2本が使えなくなり、日本海側の1本しか使えなく
なっていた。Twitterを使用するためには、米国と通信を行わなければ
ならないが、日本と米国を結んでいる5本の海底ケーブルの内、4本は
断線で使えなくなり、西日本からの1本しか残っていなかった。

・このようにインターネット網も壊滅的といえるほどの被害を被って
いたのに、電話が使えない状況でもネットが使える状況が多かった。
それはなぜか。通信会社がディザスタリカバリープランを作成し、
まさかのときのためのシミュレーションを予め行っていて、対応できた
からだ。東北と関東を結ぶ線のときには、残っていた日本海側を
通るようにした。米国との通信の際には西日本へ通信を送り、そこから
海底ケーブルで米国に送るようにした。

・Googleの安否情報のシステムは、ハイチの災害が初回だった。
日本へのローカライズは、地震から2時間でサイトが公開されるという
素早さであった。安否情報のデータは、避難所での名簿の写真撮影を、
当初はGoogle社の社員百名ほどがデータエントリーしていたが、
ネット上でボランティアの協力体制ができ、広まっていった。さらに
NHKなどの安否情報のデータベース情報が活かされた。その際の
インターフェイスはXMLによって行われた。名前や年齢など、Googleの
システムで使用されているXMLのタグと同じものをNHKのデータにも
適用した。このようにして、各社の安否情報が集結された。

・サイバーエージェント社の募金では、ユーザーがクリックして簡単に
募金したのと同額を会社側も募金した。募金額の合計は億の単位まで
達した。会社側も懐を痛めたわけだが、企業イメージのアップには
役だっただろう。

・これまでネットはバーチャルと思われてきた。それは、インターネットが
普及し始めた十数年前、既に郵便、電話、テレビなど様々な社会基盤が
揃っていて、ネットは+αとしか思われていなかった影響が大きい。
それが今回の震災では、社会の再生に貢献するという活躍をみせた。
これは画期的なことだった。

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